父が遺した写真
ロックフェラープラザの中に、ロウアープラザといわれている、階段で降りる、一段下がったグラウンドがあります。冬はスケートリンクになり、夏はオープンカフェになります。

父の遺した昭和29年6月24日の写真には、オープンカフェでゆったりとくつろぐ三人のご婦人の姿。息子が8月2日に同じ場所で撮った写真には、グランドを埋め尽くさんばかりの四角いパラソル。

古きよき時代が懐かしい。
意外と早く、昭和29年(1954年)父がニューヨーク出張中に、宿泊していたホテルの写真が手元に入りました。
数日前まで、ニューヨークに滞在していた息子から、時間が取れたので旧プリンス・ジョージ・ホテルを訪ね、写真を撮ってきたよ、とのメールと貼付の写真が数枚送られてきたのです。

その写真は、驚くほど綺麗にリメークされたホテルの外観と、想像していた通り、まさにアールデコ様式の典型とも言える重厚な姿を見事にとらえていました。しかし意外に小さなホテルであったことも解りました。

外国で泊まったホテルは、楽しい思い出と共に、何時までも心に残るものです。56年前父が、このホテルに3ヶ月も世話になっていたと思うと、とても懐かしく、身近に感じます。

息子がニューヨークのホームレス支援団体「コモングラウンド」のオフィスの担当者に、祖父が50数年前この旧ホテルに泊まったので、ロビーとボールルームを写させてくれと申し入ましたが、セキュリティの件で無理と、断られた事は残念でした。
最終番地がはっきりしていないので、父が遺した、カフェテリアの写真の建物を探したが、見つけきれなかったとの息子からの報告を聞き、私と同じ思いをもっているのかと嬉しくなりました。
*息子が写した、ニューヨーク 旧プリンス・ジョージ・ホテル
撮影日 8月3日
今月に入り、昭和29年(1954年)に父がニューヨークに出張していた折に、母に送っていたエアーメールの束を読み返したところ、偶然、当時三ヶ月ほど滞在していたホテルの名前が判りました。それは、ニューヨーク プリンス・ジョージ・ホテル。
父はこのホテルの写真を遺してはいません。あらためて住所を調べてみるとパークアベニュー東28通、何処か見覚えのある番地でした。それが今回,再度アップした「ニューヨーク カフェテリ4番街28通。昭和29年6月30日」と記載された、この写真の番地と一致します。今でもこのあたりのパークアベニューは4番街とも言われています。
父はホテルの食事だけでは大変なので、たびたび、直ぐ近くのこのカフェテリアで済ませていたのではないかと思われます。

プリンス・ジョージ・ホテルは1900年代の初頭に建設され、その当時はニューヨークで一番大きなロビースペースを持つ、高級ホテルとしてデザインされていました。1950年代は出張する日本のビジネスマン等(ジェトロ等)の常宿として人気がありました。1970年代後半に観光業界が不況になった頃から廃れ始め、1980年代には経営難のためニューヨーク市からの基金により、ホームレスや其の家族を受け入れる事になってきました。1990年に入り建物は手を入れられることもなく荒廃し、そのまま見捨てられた状態だった様です。
しかし、1998年、ニューヨークで一番大きな規模の長期型支援住宅を運営しているホームレスの支援団体である「コモングラウンド」が苦難の末、この建物の所有権を取得。さらに歴史的建造物として国の認可を取り付け、復興のための基金を獲得したのでした。現在、低所得者、特別の助けを必要としている人、もとホームレスだった人々のために416もの部屋を低額で賃貸、職業訓練のプログラムまでも提供しています。そして、歴史あるホテルのロビー、ボールルーム等も見事によみがえったのでした。
2007年からアメリカでオンエアーされた人気ドラマ「ゴシップガール」の仮面舞踏会シーンのロケ地は、まさにこの重厚な旧プリンス・ジョージ・ホテルのロビーでした。
父が遺した一枚の写真から、ここでも懐の深いアメリカの一面を垣間見ることが出来ました。次回ニューヨークを訪れた時、父が泊まったプリンス・ジョージ・ホテルの写真を撮ることを楽しみにしています。
父が遺した写真
「ニューヨーク カフェテリア4番街28通。昭和29年6月30日」と記載されています。

1754年、アメリカがまだ植民地時代、イギリス国王ジョージ2世の許可の下、キングスカレッジとして創設された大学です。
現在もコロンビア大学の卒業式では、式の始まる前に必ず、イギリスの第二国歌とも言われている“威風堂々の行進曲”(イギリスの作曲家エドワード・エルガー作曲)が流れます。少し違和感がありましたが、創設起原をはっきりとあらわしているのですね。
そして厳かな卒業式が終わり帰り支度をしていた頃、流れた曲がフランクシナトラの“ニューヨーク・ニューヨーク”。アメリカは苦悩しているが、懐の深い国だと思いました。

ロウアー・イーストサイドの“ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート”ビルは、2007年日本人建築家妹島和代氏と西沢立衛の共同設計事務所“SANAA(サナア)”の設計により立て直され、堅苦しくない、遊びのあるアートを新進気鋭のアーティストが楽しく、意欲的に発表する場として話題をよんでいます。
そして、先月(3月29日)“SANAA”が建築界のノーベル賞といわれる米プリッカー賞を受賞したと報道されました。

チェルシー地区の中の工場、倉庫街が大変身。ギャラリーになったり、住宅になったり、ここは食品マーケットです。巨大な人気グルメスポットになりました。元は19世紀末のナビスコビスケット工場。
木が茂る遊歩道、私にはサンデッキに見えます「ハイライン」が、チェルシー・マーケットに繋がりました。ハイラインの南の終点には、ホイットニー美術館の新館が建設の予定です。
このあたりは、また新しいアートの発信地になる予感がしました。

ミュージカル・レヴュー「ラジオシティー・クリスマス・スペクタキュラー」。
ザ・ロケッツはラインダンス「おもちゃの兵隊」でこんなシーンを見せました。

廃線となった貨物鉄道の高架線が、人々の集う公園と遊歩道に再生されました。
出来たばかりの「ハイライン」の第一期工事。チェルシーマーケットまで歩いてきました。

プルシャンブルーに塗られた無垢のままの太い鉄骨の柱、朱色の配管、
簡素で荒削りの内装、ニューヨーク地下鉄のホームは美しいと言ったら、
ロウアー・マンハッタンを案内してくれたガイドがそんな感想を言った日本人は
初めてだ、嬉しいと囁いていました。

さいわい、雪になりませんでした。
華やかな電飾が雨に滲んでいました。
【只今、昨年末に旅したニューヨークの写真をアップしています】
父が、50年前に海外旅行をした
ときの写真を修復しました。
2009年5月以降の記事は、
2009年4月に、父が遺した写真を
手がかりに、父の軌跡をたどる
ヨーロッパを旅したときの写真です。
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