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◆08月03日: 政治経済コラム 「人は自分の匂いを嗅げない-ハンガリーから日本を見る」

           Ⅳ. 天皇の「政治的利用」

◆07月12日: 政治経済コラム 「人は自分の匂いを嗅げない-ハンガリーから日本を見る」

           Ⅲ. アメリカが怒っている?MVM資産横領事件(2)史評価と政治判断

◆06月28日: 政治経済コラム 「人は自分の匂いを嗅げない-ハンガリーから日本を見る」

           Ⅱ. 事業仕訳

 

★ 新刊 「ポスト社会主義の政治経済学」、BYOOLにて発売中です。  

 

* 目次からお読みいだだくと、たいへん読みやすくなっております。 

 

記事URL| |2010/08/03 10:09
お知らせ

◆「ポスト社会主義の政治経済学」の書評が、日経新聞に掲載されました。

 

年3月21日(日)付、日経新聞に、「ポスト社会主義の政治経済学」の書評が

掲載されました。 >>こちらをご覧ください。

 

◆新刊 「ポスト社会主義の政治経済学」 発刊のお知らせ 

2010年1月、盛田常夫の著書が発刊されました。

BYOOLでは、購入できますので、ご希望の方はお知らせください。盛田氏のご好意により、

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ご購入お申し込みの方は、下記までご連絡お願い致します。

admin@byool.com

 

 

 

 

 

内容の詳細は、こちらをご覧ください。>>

目次 <エッセイ>

<エッセイ>

 

■私の読書

 

   私の読書 (1)

   私の読書  (2)

   私の読書  (3)

   私の読書 (4)

 

■にわかディーラー、にわか棟梁

 

   Ⅰ. にわかディーラー

   Ⅱ. 改築工事

   Ⅲ. にわか棟梁

   Ⅳ. コネで見つける業者

   

■コバケン・理代子のコラボレーション

   

   Ⅰ. 天は多物を与える

   Ⅱ. プロとアマの境界 

   Ⅲ. 瞬間芸としてのライブ 

   Ⅳ. 自分への投資

   Ⅴ. エピソード

 

■ハンガリー語書籍出版に寄せて  (2009年3・4月掲載)

 

   Ⅰ. 著書出版の経緯

   Ⅱ. ハンガリーの友人たち

   Ⅲ. 出版記念会

   Ⅳ. 出版記念会参加者への謝辞

 

ハンガリーを知って30年 ~人生の節目と友人たち~  (2009年2月掲載)

 

   人生の節目と友人たち その1

   人生の節目と友人たち その2

 

■世界で活躍するハンガリー人科学者・芸術家・実業家  (2009年3月掲載)

 

  Ⅰ.  近代科学の創始者

 

 ■コバヤシ伝説、健在なり  (2007年7月)

 

  Ⅰ. 伝説の始まり

   Ⅱ. クラシック界のアイドル

   Ⅲ. それから30年

   Ⅳ. ティケット販売の仕組み

   Ⅴ. 音楽家泣かせの芸術堂

   Ⅵ. コパケン・マジック

   Ⅶ. コバケン支援の意味

 

 

■宇宙を飛んだチャールズ・ティモシー (2007年4月)

 

   宇宙を飛んだチャールズ・ティモシー

 

 

■尻(シリ)と掏摸 (スリ)、頭(ズ)と痔(ジ)   (2007年6月)

 ~『コルナイ・ヤーノシュ自伝』 翻訳余話~   

  

   Ⅰ. 経済学者と伝記

   Ⅱ. 翻訳の質を決めるもの

   Ⅲ. 外国語表記の問題経済学者

   Ⅳ. 対象とする読者

 

 

目次 <政治・経済コラム>

<政治・経済コラム>

 

■人は自分の匂いを嗅げない---ハンガリーから日本を見る  (2010年06-07掲載)

 

   Ⅰ. スポーツ選手の飲酒・喫煙

   Ⅱ. 事業仕訳

   Ⅲ. アメリカが怒っている?

   Ⅳ. 天皇の「政治的利用」

 

■2010年は政治転換の年になるだろうか  (2010年03月-04月掲載)

 

   Ⅰ. 腐敗にまみれた社会党

   Ⅱ. 腐敗の構図

   Ⅲ. 食い物にされる自治体

   Ⅳ. ワクチン製造会社をめぐる懸念

 

特権を貪る体制転換貴族、赤いマフィアの跳梁   (2010年03月掲載)

 

   Ⅰ. オスコー蔵相の邸宅問題

   Ⅱ. 甘えの構造

   Ⅲ. MVM資産横領事件(1)

   Ⅳ. MVM資産横領事件(2)

    

体制転換20年の風景  (2010年02月掲載)

 

   Ⅰ. 体制転換20年

   Ⅱ. 映画「アンナについての最後の通報」

   Ⅲ. 歴史評価と政治判断

   Ⅳ. EU委員指名

 

危機に便乗した偽装はないか  (2010年01月掲載)

 

 前置き

   Ⅰ. 同時不況は過剰生産が原因

   Ⅱ. トヨタ資本(本位)主義

   Ⅲ. 手詰まり状態のハンガリー

 Ⅳ. そして、Posta Bank

 

公共事業体役員の報酬公開   (2009年12月掲載)

 

   Ⅰ. 役員報酬の公開

   Ⅱ. 国立大学学長の報酬

   Ⅲ. 誰がどれほど

   Ⅳ. 皆が一緒に食い物に

   Ⅴ. 政治倫理の確立

 

■ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その8)  (2009年11月掲載)

 -保安庁官ピーテル・ガーボル逮捕

 

   Ⅰ.  動乱分析の意味

   Ⅱ. ブダペスト12区

   Ⅲ. ピーテル・ガーポル逮捕

 

■ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その7)  (2009年10-11月掲載)

 -カダール評価の難しさ

 

   Ⅰ. ハンガリーに固有な問題

    Ⅱ.   カーダールをどう評価するか

    Ⅲ. カーダール逮捕の背景

    Ⅳ. カーダールの弱み

 

■前途多難なバイナイ政権         (2009年9月・10月掲載)

   

   Ⅰ. スィリ・カタリン敗北の衝撃

   Ⅱ. 社会党沈没の原因 

   Ⅲ. 出処進退の決断

   Ⅳ. バイナイ政権の矛盾

  

■コルナイ経済学をどう理解するか     (2009年6月掲載)

 

   Ⅰ. 経済学は科学か、それともレトリックか

   Ⅱ. コルナイの理論的軌跡 (1)

   Ⅲ. コルナイの理論的軌跡  (2)

   Ⅳ. レトリックとアナロジー (1)二水準計画 (2)反均衡

   Ⅴ. レトリックとアナロジー (3)不足 (4)予算制約ソフト化

   Ⅵ. 理論と政策

   Ⅶ. コルナイ経済学の特質:理論か、それともイデオロギーか

   Ⅷ. 結びに変えて

 

 ■混乱を極めた首相選び     (2009年5・6月掲載)

  

   Ⅰ. 二転三転の候補者選び

   Ⅱ. ジュルチャーニィの党首辞任

   Ⅲ. 繰り上げ総選挙の絶対回避

   Ⅳ. MOL株売買をめぐる怪奇

 

政界再編へ動き出すハンガリー        (2009年4月掲載)

 

   Ⅰ.  フォリント急落

   Ⅱ. 国家破産か、外貨預金の凍結か

   Ⅲ.  政府vs.改革同盟vs.ボクロシュ

   Ⅳ.   政界再編の動き

   Ⅴ. ジュルチャーニィ辞任  

 

■ハンガリー社会が抱える課題    (2008年1月掲載)

 

   Ⅰ. 蟻とキリギリス

   Ⅱ. 借り物経済

   Ⅲ. 「ゲストワーカー」現象

   Ⅳ. 国庫資本主義

 

 

■ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その6) (2008年11月掲載)

 -ÁVH粛清の始まり

 

   Ⅰ.  プロローグ

   Ⅱ. ユダヤ人と共産党

   Ⅲ. スーチ兄弟の逮捕

   Ⅳ. スーチ兄弟虐殺

   Ⅴ. スーチ虐殺の謎

 

 

■カジノ資本主義のモラルハザード   (2008年10月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 銀行と証券

   Ⅲ. 投資銀行(業務)とヘッジファンド

   Ⅳ. サブプライムローン不良化の波及

   Ⅴ.  自己増殖する貨幣

   Ⅵ.  カジノ資本主義

 

 

国際金融危機下のハンガリー   (2008年11月)

 

    Ⅰ.  IMF緊急融資

    Ⅱ.  「国民サミット」

    Ⅲ.   「危機」の発生

    Ⅳ.  なぜハンガリーが

    Ⅴ. IMF融資

    Ⅵ.  これからの展望

  

  

■ハンガリー動乱50年: 「改革アロガンス」の敗北  (2008年)

 -国民投票結果が意味するもの

 

  Ⅰ. プロローグ

  Ⅱ. マッチ・ポンプ

  Ⅲ. 複数保険制度イデオロギー

  Ⅳ. 改革の罠

 

ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その3)  (2008年)

 -ライク・ラースロー処刑事件

 

Ⅰ. プロローグ

  Ⅱ.  ライク逮捕の経緯

   Ⅲ. ライク尋問 

   Ⅳ. ヴェルキンの登場

   Ⅴ. ライクが狙われた理由

   Ⅵ. ライク裁判

 

 

ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その5)   (2008年)

 -社会民主党出身者の粛清

   

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 歴史的背景

   Ⅲ. ハンガリーの事情

   Ⅳ. サカシッチ逮捕

   Ⅴ. 一斉検挙

 

 

ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その4)   (2008年)

 -ライク事件からスランスキー事件へ

 

    Ⅰ. プロローグ

    Ⅱ. スランスキー事件

    Ⅲ. チェコスロバキアの特殊性

    Ⅳ. 粛清の連鎖

 

 

 ■ハンガリー動乱50年:ナジ・イムレ処刑50年   (2008年)

   

 Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. ナジ・イムレ復権

   Ⅲ. ショーヨム大統領の問題提起

   Ⅳ. 動乱評価の両義性

    Ⅴ. 個人的体験と体制存立の論理

    Ⅵ. 体制理解と個人の役割

 

 

ンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その2)   (2008年3月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 社会民主党の吸収

   Ⅲ. ユーゴスラビア除名

   Ⅳ. 亡命共産主義者の摘発-ダレス機関の関与

   Ⅴ. ノエル・H・フィールド拉致事件

   Ⅵ. 消えたアメリカ人

   Ⅶ. フィールド釈放事情

   Ⅷ. フィールド尋問からライク逮捕へ

  

ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その1)   (2008年1月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 腰がひける知識人

   Ⅲ. 爪はがしのパウエル

   Ⅳ. 過去の権力犯罪とどう向き合うか

   Ⅴ. 国際保安警察(AVO, AVH)

 

 

■国会を通過した健保民営化案  (2007年12月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 妥協のしようのない対立軸

   Ⅲ. 奇妙な妥協案

   Ⅳ. 健康保険民営化の意味

   Ⅴ. 映画Sicko上映をめぐる怪

   Ⅵ. スィリ・カタリンの選択

   Ⅶ. 知識人の分裂

 

  

政治は男の道楽か (2007年11月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 権力ゲームという道楽

   Ⅲ. ハンガリーにも大連立?

   Ⅳ. オルバン村首長

   Ⅴ. SZDSZの焦りと政界再編

   Ⅵ. ババ抜き提案

 

 

ジュルチャーニと安倍:宰相の資質と条件 (2007年9月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 現実課題を把握する能力

   Ⅲ. ジュルチャーニ延命の理由

   Ⅳ. 政治家としての資質と経験

   Ⅴ. 世代による思考様式の差異

   Ⅵ. 政治倫理に見る政治風土

 

 

政治家への叙勲騒動-ホルン75歳を祝う社会党の知性 (2007年7月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 叙勲署名拒否

   Ⅲ. 歴史hのねつ造

   Ⅳ. 政治家としてのホルン

   Ⅴ. 経済犯罪に脇が甘いホルン

   Ⅵ. 叙勲の役割

   Ⅶ. 叙勲を辞退した宮沢喜一

 

 

ジュルチャーニ演説から1周年-漏洩経路をめぐる怪 (2007年6月)

 

   Ⅰ. ウースドの大兄弟たち

   Ⅱ. ハンガリーの「こそ泥」現象

   Ⅲ. 流出経路

   Ⅳ. 「内なる敵」は誰か

   Ⅴ. ジュルチャーニの地盤沈下

   Ⅵ. シルヴァーシ一家のスキャンダル

   Ⅶ. Nador ’95 Kftの清算

   Ⅷ. グリペン選定をめぐる収賄疑惑

 

 

体制転換と「赤いマフィア」の登場-その2 (2007年3月)

 

   Ⅰ. 困難を極めた債権回収

   Ⅱ. 債権回収に加わった人々

   Ⅲ. カボイの電力ビジネス

   Ⅳ. Nador ’95 Rt.

   Ⅴ. ボシュタバンクをめぐるスキャンダル

   Ⅵ. 黒い結託

   Ⅶ. 黒いマフィアとの結託

 

 

体制転換と「赤いマフィア」の登場-その1 (2007年2月) 

   Ⅰ. 新しいマフィアの出現

   Ⅱ. 赤いマフィア

   Ⅲ. 奇妙な記事

   Ⅳ. 旧ソ連ビジネス

   Ⅴ. オルゲート事件

   Ⅵ. ロシア事情と赤いマフィア

 

 

■ハンガリー政治経済情勢をどう見るか (2006年)

   

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 合法性と正当性-ジュルチャーニ政権のレジティマシー

   Ⅲ. 緊縮政策の正当性

   Ⅳ. 収プログラム

   Ⅴ. 収斂プログラムに欠けているもの

   Ⅵ. ジェルチャーニ発言

   Ⅶ. オルバンの苦悩

   Ⅷ. 今後の展開

     

記事URL| |2010/08/03 09:54
目次 <スポーツ・エッセイ>

<スポーツ・エッセイ>

 

 

■初めて長距離レース参加する人のために   (2008年12月)

 

   Ⅰ.  急には速くならない

   Ⅱ.  レース1週間前

   Ⅲ.  レース前日

   Ⅳ.  レース当日

   Ⅴ. トイレと水分補給

   Ⅵ.  スタート前

   Ⅶ. ペースを守る

 

 

ランニングを始めたいと考えている人に <スポーツを解析する その28>

                                    (2008年6月)

 

   前置き

   Ⅰ. ランニングは苦しくない

   Ⅱ. 脚を鍛える

   Ⅲ. 距離と力(スピード)の相関

   Ⅳ. 練習メニューの立て方

   Ⅴ. 道具と食事

  

 

フェデラーが君臨する男子テニス、若い力が台頭する女子テニス  (2008年2月)

 

   Ⅰ. ハンガリーの超新星: サーヴァイ・アーグネシュテニス

  Ⅱ. 妖精、それともアマドネス?

  Ⅲ. 伸びしろのある大きなフォーム

   Ⅳ. 四大大会の制覇はなぜ難しい

   Ⅴ. フェデラーの強さ

   Ⅵ. テニスの四つ相撲、押し相撲、横綱相撲

 

 

それでもゴルフはスポーツだ (飯尾  欽哉)  (2007年7月)

 

   Ⅰ. 紳士のスポーツ

   Ⅱ. タバコとゴルフ

   Ⅲ. ゴルフのスポーツ性

   Ⅳ.  体育会と文化部

 

私がゴルフをしない理由 (盛田 常夫)   (2007年7月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 静と動

   Ⅲ. 個と集団

   Ⅳ. 競技とゲーム

   Ⅴ. 鍛錬と摂生

   Ⅵ. 「歩く」と「走る」

   Ⅶ.  鍛錬とゲーム

 

私がゴルフをする理由 (石嶋 弘)   (2007年7月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 歩くことは辛くない?

   Ⅲ. お腹の出ている人はスポーツマンではない?

   Ⅳ.  ハンディ制はスポーツ精神に反する?

   Ⅴ.  結論

 

 

中欧三国ハーフマラソン参戦記 ~ウィーン国際ハーフマラソン~

  

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. コースを知る

   Ⅲ. 大会組織にみる分明度(その1)

   Ⅳ. 大会組織にみる文明度(その2)

   Ⅴ. 気持ちよく走る

   Ⅵ. 気になったこと

   Ⅶ. 後日談

 

目次 <映画・文芸時評/論文・ノンフィクション/書評>

<映画・文芸時評>

 

■暗い日曜日(Szomoru´ vasa´rnap)-1999年封切り、ドイツ映画

 

   暗い日曜日

 

<論文・ノンフィクション>

 

電子政府下の役人天国   (2008年1月)

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. マニュアル時代へ後戻り

   Ⅲ. 行政・電子サービス発行公証所

   Ⅳ. 腐敗と同居

   Ⅴ. 一度で済まない手続き

   Ⅵ. 民営化された電力会社 

 

 

<書評>

  

福岡を読む   (2007年12月)

 ~『生物と無生物のあいだ』、『もう牛を食べても安心か』~ 

 

   Ⅰ. プロローグ

   Ⅱ. 三つの生命観

   Ⅲ. 動的均衡の発見

   Ⅳ. 二重らせん

   Ⅴ. 人の体は何故大きい、何故食べ続けなければならないのか、

   Ⅵ. 牛を食べても大丈夫か

 

人は自分の匂いを嗅げない-ハンガリーから日本を見る
Ⅳ. 天皇の「政治的利用」


政界からとっくに引退していいはずの安倍元首相が、周副主席の天皇会見を「政治利用」と批判する資格があるだろうか。彼が首相時代に試みたのは、憲法を改定して「天皇の元首化」を確立することではなかったのか。形だけの天皇制から実の伴った天皇制に変えようとしたのではなかったのか。そうやって、天皇制を全面的に政治利用することが、自民党の究極の目標ではなかったのか。自分のやってきたことを簡単に忘れてもらっては困る。

もともと天皇制そのものが政治的存在だから、あれは「非政治的利用」これは「政治的利用」などと仕訳ができるものではない。ところが、政治的存在であるはずの天皇制が政治的役割を果たしてはならないという建前になっているところに象徴天皇制の矛盾がある。皇室儀礼を遂行するだけのためなら、インテリのプリンセスは不要だった。儀礼の意味を問うことなく、たんたんと儀式を遂行できる皇族がよかった。雅子妃は象徴天皇制の犠牲者である。形だけのことが日常的に強要されれば、人として生きていく意味を失うのは当然だろう。


中途半端な形だけの天皇制ではなく、もっと政治的な意味を付与した天皇制に変えていく試みが、「元首化」の議論だった。しかし、それは戦前の天皇制の復活への道になる。その道を選ばず、象徴制を守りたいというなら、それとは逆の道を徹底することしかないではないか。憲法の規定から天皇制を外し、天皇家を政治制度から切り離すことでしか、根本的な解決策はない。現在の天皇制が何時まで存続するか分からないが、元首化とは正反対の道しか残されていないだろう。亀井大臣が言うように、天皇家は京都御所に移り、公家の伝統を守る家として存続していくのが良い。しかし、日本では天皇制にかんする憲法論議はタブーになっている。こういう議論ができない日本はまだ後進国。まともに議論されるまでに、まだ長い時間が必要だろう。
(2010年1月)
人は自分の匂いを嗅げない-ハンガリーから日本を見る
Ⅲ. アメリカが怒っている?


普天間基地移転合意の履行をめぐる日本のメディアの論調も奇妙である。「アメリカが怒っている。アメリカとの友好関係が崩壊する」と報道するが、日本の基地問題の本質が何であるかと議論したものが少ない。アメリカ軍が日本全土に軍事基地を保有し、アジアのみならず、中東まで視野に入れた軍事戦略基地として日本を位置づけている意味を理解していない、理解しようとしていないからだ。

日本全土にまたがるアメリカ軍基地の存続は、アメリカによる軍事面の戦後占領の継続に他ならない。日本人はそのことを忘れてしまっている。アメリカの従者として戦後60年もアメリカに仕えてきたから、対米軍事従属が日常になってしまった。だから、「アメリカを怒らせてはならない」という幼稚で腰の引けた議論がまかり通っている。まさにこれが現在の日本の対米外交のレベルである。

日本のアメリカ軍は日本を守るために駐留しているのではない。アメリカの軍事的な世界戦略にもとづいて、日本の各地に世界展開に必要な戦力が配置している。嘉手納基地も横田基地も、それぞれ明確な軍事的使命をもって展開されている。日本の首都圏の民間航空圏は横田基地の存在によって、著しく制限されている。こういう国は先進国の中で日本だけだ。アメリカの基地があることで、「日本は他国からの侵略にたいする抑止力を獲得しているから、日本はアメリカに全面的に協力する必要がある」というのが、アメリカの論理。しかし、この抑止力は「アメリカ軍駐留のおまけ」でしかない。歴代の自民党政府はこの「おまけ」を無条件かつ全面的に受け容れ、敗戦による米軍駐留をそのまま容認してきただけなのだ。

だが、戦後の歴史を振り返ってみて、アメリカ軍の存在がどこの国からの攻撃にたいする抑止力になってきたのだろうか。抑止力より、アメリカの戦争に否応なく後方支援しなければならなかった義務の方がはるかに大きかったのではないか。実際、アメリカのヴェトナム戦争やイラク戦争に日本のアメリカ軍基地は総動員された。しかし、それらの戦争が誤りだったと総括されているのに、日本の政治家はまったく知らん顔である。脳天気と言われても仕方がない。イギリス議会はブレア元首相のイラク参戦を検証しているが、日本の政治家はアメリカの威に隠れて後方支援という形で参戦してきたことに頬被りである。
アメリカの軍事戦略の後追いをしているだけだから自らの定見がない。本当に正しかったのか、それとも誤りだったのかという程度の議論すらないという政治レベルだ。だから、日本外交が国際的に舐められる。日本の意見を聞かなくても、アメリカの意見を聞けば十分ということになる。経済一流、政治三流と言われる所以だ。骨のある保守であれば、自立した定見を保持し、民族的な利益を守ろうとするだろう。ところが、アメリカに従属し、牙を抜かれた保守政治家には、そのような気概はない。日本の保守や右翼はアメリカの軍事占領60年で骨抜きにされ、腰抜けになった。

現存の普天間移転合意は、「暴力団が街の中心にいるのは困るから、人員を減らして、人里離れた所へ移転してください」とお願いしているのと同じ。一つの基地を閉鎖して、新たに基地を作るのでは、アメリカ軍の基地は永遠になくならない。この程度の合意を得るために、「血のにじむような努力をしてきた」と自民党は言うが、アメリカは基地返還自体にはいとも簡単に応じた。代替基地があれば何も問題はないし、海兵隊も沖縄にいる必要性もないからだ。日本政府が苦労したのは代替基地の選定である。きれいな海を埋め立てる案に決めるのに、血のにじむような」苦労をしたということだ。しかし、これが胸を張って最善策ですと言えるだろうか。この程度の合意なら、政権交代を期に、合意を白紙に戻して、「最初から基地の根本的縮小交渉をやりましょう」というのは当然ではないか。外務省の事務方は困るだろうが、政権が変わったのだからそれは腹をくくってやるしかない。それにたいして、「外交交渉のルールを知らない。アメリカが怒っている」と鳩山政権を批判するメディアや政治家は、逆にアメリカの軍事占領で洗脳されてしまっている。情けない限りだ。

ジョセフ・ナイが言っている。「普天間のような二次的な問題は日米関係に影響する問題ではない。それなのに、ことさらに鳩山内閣を恫喝すれば、アジアの最重要な軍事戦略基地を確保しているアメリカの権益が失われる。そういう馬鹿なことをしてはいけない」、と。これがアメリカの本音だ。アメリカの国務省や国防省へのこのこ出かけてご機嫌取りしている日本の政治家は、最初から舐められていることを知るべきだ。

鳩山首相が唱える「駐留なき安保」は日本がアメリカの軍事占領状態から自立するための最低限の条件。それが実現しない限り、日本はいつまでもアメリカの従者であり続ける。もっとも、民主党の政治家の理解もバラバラで、それぞれが自らの理解を反芻し自問するプロセスを公人として行ったので、政府や党としての政策のブレが批判された。政治的に未熟な対応が混乱をもたらしていることは否定できないが、それが民主党の現在の状況なのだ。
(2010年1月)
人は自分の匂いを嗅げない
Ⅱ. 事業仕訳


民主党が目玉にした「事業仕訳」は政治的パフォーマンスとして成功した。それを実質的に仕切っていたのは、官僚出身の若手政治家である。自民党はただのパフォーマンスにすぎないというが、官僚出身の能力のある若い政治家が自民党では得られない活躍の場を、民主党で与えられたのだ。それが理解できずに、長老支配を続けている限り、自民党に有能な若い人材が集まらないだろう。だから、凋落する運命にある。

こういう事業仕訳をハンガリーでやったら、国家財政赤字などは即座にゼロになるだろう。無駄な補助金や顧問契約を装った公金横領の規模が大きいからだ。BKV(ブダペスト交通公社)の腐敗も底なしの様相を呈しているが、残念なことに、そういう問題に切り込もうとする若い有能な人材がハンガリーには不足している。正義感を持つようになるためには、ハンガリー社会全体にもう少し生活水準の上昇が必要なのだろうか。「衣食足りて、礼節を知る」。まだ衣食が足りていないのだろうか。今は自分の所得を増やしたり、財産を形成したりすることに一生懸命で、社会正義は二の次になっている。

ある程度の生活の余裕がないと、人は正義を唱えることもできない。悲しいかな、それが人間社会の真実である。とはいえ、もう少し国の将来を思って、社会正義のために活躍してくれる若人が輩出しないと、ハンガリーは発展途上国並の腐敗国家に堕してしまう。
人は自分の匂いを嗅げない
どれほど悪臭を放っていても、人間は自分の匂いを嗅げない。なぜだろうか。嗅覚に匂いのストレスを溜めない仕組みが働いているからだ。匂いに慣れることでストレスから解放される。しかし、自分は悪臭を感じなくても、第三者にとって悪臭であることに変わりはない。匂いに限らず、慣れは恐ろしい。
こういう仕組みは社会を観察する場合にも当てはまる。「灯台下(もと)暗し」。人は身近なことはついつい見逃してしまうし、慣れてしまうと物事の本質が見えなくなる。だが、近くにいる人には分からなくても、遠くから見ると良く分かる。日本のことも、外国から見ているとよく分かる。


Ⅰ. スポーツ選手の飲酒・喫煙

ロッテに入団する大嶺選手の飲酒が報道され、ロッテ球団は契約延期を決めた。同様な「事件」に、ダルヴィッシュ投手の入団前の喫煙があった。非難の理由は成人年齢に達していないというだけ。「アスリートは喫煙(飲酒)すべきでない」という真っ当な議論を展開するメディは一つもない。「喫煙・飲酒は20歳になってからにしろ」というなら、ただの体育会的なルール。日本のスポーツ界では本末転倒の議論がまかり通っている。

ペナントレースで巨人の内海投手がめった打ちに合って降板した時に、原監督は「ヘヴィースモーカーで、アスリートとしての自覚がない」と批判したが、日本のスポーツ界でそういう批判を展開する監督はどれほどいるだろうか。アメリカでは「アスリートは喫煙しない」が常識。しかし、日本のスポーツ界は「喫煙」に甘い。体調管理とトレーニングメニューに気を遣い、選手生命の維持に努めている工藤投手ですら愛煙家である。

以前、友人が自然食に凝っていて、何度もしつこく自然食を勧めるから、「君の喫煙を止める方がよほど安上がりだし健康のためにはるかに良いのでは」と禁煙を進めてから、自然食の押売りがなくなった。スポーツ選手、とくに呼吸器を激しく使用するスポーツでは喫煙は厳禁である。歌手も同じ。肺の細胞がタールで塞がれ、肺活量が減退し呼吸機能は低下する。明らかに酸素摂取量は減退するから、運動能力が落ちる。そういう自覚のないアスリートや歌手はプロとして失格である。日本人ゴルファーに喫煙家は多いが、ゴルフスウィングだけの運動だから喫煙は個人の嗜好の範囲。社交ゲームにフィットネスへの配慮は無用ということか。しかし、喫煙を常習とする力士や野球選手はアスリートとしての自覚に欠けると言われても仕方がないだろう。若いアスリート教えるべきことは、20歳ルールではなく、アスリートとしての自覚である。