偏屈おじさんのわん日記
ゴルフははっきりいって、下手です。
けれど、ゴルフ歴は沖縄復帰のころからですから、相当長いです。ということは、もともと運動神経が弱く、スポーツが苦手、特に球体を使うのがだめ、ということです。
柔道とか、相撲とか男っぽい格闘技風なのはある程度できますけれど。
もっとも、ゴルフは年一回か二回。それではうまくなるわけもなく、いつもブービーとかいう位置にいます。
それなのに、近くゴルフに行かねばなりません。そういうなりゆきとあいなりました。
そこで、皆さんにあまり迷惑もかけられないので、一応近所の練習場に行く決意を固めたのです。ところが、ゴルフシューズがみつからないのです。去年行った後、そのいままで放りっぱなしになっていたゴルフ道具を点検したところないのです。
あわてて、二階の倉庫兼書庫を探すこと、二時間ほど、ようやく見つけはしたものの、この暑さ。もうサウナに入ったと同じでした。むろん、練習場では豆を手にいっぱい作ってしまいました。犬センちゃんが隠していたのでしょうか。
まだまだ暑い日が続いています。満月を見ながらのセンちゃんの散歩も、まだ暑苦しいですね。今年はどうしたことでしょう。そういえば、この夏はあまりひまわりを見かけなかったのですが、減っているのでしょうか。
写真は、待たされて退屈し、首を振っているセンちゃんです。偏屈は喫茶店で原稿を書きます。その時、センちゃんはいつもこの場所で待たされるのです。いやですよね。

夜の新宿 裏通り
肩を寄せ合う 通り雨
八代亜紀が得意とする、人気曲である。
新宿の街、特に裏通りが好きで、よく飲み歩く。
かって、新宿には、赤線、青線と呼ばれる、売春街があった。だから、そこで働いていた、女性たちが葬られた、投げ込み寺も、新宿にはある。
五木寛之の「青春の門」にも登場する街である。最近は、忙しくてあまり行けないけれど、その辺りをぶらついていると、不思議に、この曲をいつのまにか呟いている。
さらりとした、よい曲である。
「しのび逢う恋 なみだ恋」というしめの歌詞もよい。鈴木淳、悠木圭子ご夫妻の傑作のひとつであろう。
さて、次回はいつ、この街をさ迷えるだろか。
夏も終わりだというのに、めちゃくちゃ暑い日が続いています。センちゃんの散歩も、熱風の中で行っています。不思議なことにアジサイの花がいまだに生き生きと咲いているのを見かけました。

巷に雨の降るごとく
わが心にも涙降る
心の中に染みてゆく
この寂しさは何だろう
ベルレーヌの詩の一節です。今日の終戦記念ドラマの中で、主人公が最後のセリフとして読んでいました。
なんとも寂しさが染み込んできて、つらくなる詩です。梅雨時には心の病に陥る人が多いと聞きますが、雨とうつ病はセットなのでしょうか。
この日のドラマは、人生を知る楽しみの一つとして、詩集を読むことを教えた中で、その友情の絆として、この詩が採り上げられていました。
偏屈もベルレーヌは読みましたが、どちらかというとアポリネールとか、もう少しおしゃれな詩人が好きでした。
ベルレーヌの詩はどうも鬱々となってしまいます。また、雨が好きな人は、内面にはいってゆく、思考的なタイプの方が多いようですね。
センちゃんの散歩に行ってきました。もうセミの幼虫はアブラゼミからツクツクボウシにと変わっていて、あまり見つけられませんでした。おしろい花が咲いていて、そこに幼虫がいました。
写真は、熱いので息切れしているセンちゃんです。バックは水色の睡蓮ですかね。

暑苦しいので、窓を開け放して寝ています。
窓の外の大きな樹の根元には、雑草がいっぱい生えています。
最近草取りをしていないので、夏草が伸び放題です。
昨夜。暑さにうなされている中で、ふと気がついたのです。 それは、「チー、チー」。と鳴いているではありませんか。まさしく、秋の虫の声なのです。
もう、秋なのです。そういえば、「カナカナ」が鳴く声も、昨日聞きました。
風がなくて、むちゃくちゃに寝苦しい夜が続いていますが、確実に気温は下がってきています。
台風がやってきたりして、湿度が上がっています。でも、秋の足音はもうすぐそこまで来ているのです。
夏が過ぎて、秋がやってくる。つまり、もうひとつ歳をとってしまったということですね。
今日はカモ肉で、ビール会をしました。ネギを背負って肉を持ってきてくれた人を見送りがてら、センちゃんの散歩に出ました。カンナの花が街路灯の下で、元気に咲いていました。

激しいまっ盛りの夏が好きです。
だから、夏が峠を過ぎることは、ちょっぴり切ないです。
今日あたりは、そんな気がしました。
もう、今年の夏も終わりかな。そして、「来年の夏もあるのかな」。気が弱くなってきているのですね。
セミの脱皮は、三、四日ほど前が、最高だったようですが、今日もせっせと、脱皮は続けられています。
今日は、セミの脱皮した抜け殻の上で、脱皮をしている幼虫を見つけました。
なぜか、脱皮をする場所、したい場所は同じところのようです。何かあるのですかね、匂いとか、霊感とかが。
そして、テニスコートで、飛ぶ赤とんぼを一匹発見しました。
また、ケヤキの林の中での蝉しぐれに、ツクツクボウシの鳴き声が混じっていました。もうすぐ秋風が吹きますね。
センちゃんの散歩に出かけるとき、雨がぱらついていました。何とか、もう少し天気が持ってくれないと、脱皮を始めている蝉が死んでしまいます。庭に、クリーム色の薔薇の花が三つも咲いて、風に揺れています。
写真は、脱皮したセミの抜け殻の上で、脱皮をしている幼虫です。上の方の三匹重なっている幼虫はこれから脱皮を始めます。しかも、こんなにも地上に近く道路のそばで。都会のセミは生まれるときから苦労しますね。

石神井川の、「ほたる橋」から西にかけての、拡張工事がもうすぐ始まります。
そうすると、このあたりの「桜の辻公園」の石神井川沿いの桜は、ごっそりと切り倒されて、川になってしまいます。この橋は「あおば農協前」(荻窪14番)のそばにあります。
ちょうど、その切り倒される桜の樹にとまったセミたちの大合唱が今日も続いていました。
セミたちはそんな人間の都合による工事のことは、まったく知らないで、一生懸命生きて、そして鳴いていました。
これらの桜の樹の根元あたりには、セミの幼虫が開けた、穴がたくさんあちこちにあって、そこからはい出してきた、セミたちがわんさと今夜は成虫に孵化しました。
でも、来年は彼らの出番はもうありません。だから、今年生まれたセミはセーフ。土の中にまだ残っているセミの幼虫たちの命はもうないのです。
だから、残った幼虫たちへの弔いの意味も込めて、今宵は彼らの、深夜の大合唱がいつまでも続いているのでしょうか。
センちゃんの独り言です。「人間はいろんなことを言いますねえ」。

セミおじさんである偏屈は、土の中からセミの幼虫が這い出してくる頃になると、そわそわです。
毎夜、センちゃんを連れて、幼虫の出てきそうなあたりをさまよう。散歩というよりも、セミが脱皮する姿を追うのである。あそこにも、ここにもというくらい、セミが這い出している。
ときどき子供連れのおじさんが、懐中電灯であたりを照らしながら、これは「アブラセミ」あれは「ミンミンゼミ」といいながら、得意そうに教えている。
センちゃんは時として、道路のほうに這い出してくる幼虫を見つけてくれる。そういうセミは、自動車にしかれる恐れがあるので、「センちゃん見つけてくれてありがとう」といって、木の上に幼虫を返してやる。
もちろん。いまや日中もセミの大合唱である。偏屈はセミが思いっきり鳴く、夏が大好きである。
今夜も当然センちゃんとセミの孵化の見学です。じっくりと、セミの動きを観察してこなければ。セミは山茶花とか、泰山木の上にも上って、器用に葉っぱの裏側にぶら下がって成虫になります。

海の霧のように悩みとあこがれに包まれていた青春の時を振り返ると、もっと良い、自分に合った男がいたかもしれないとは思うが、そのようなことは、少し置いておいて、現実に起こった自分の人生について、語りたい、といって、自分の夫と過ごした時代について語りだす。
その中につづられた、リアリティーあふれる女の思いが、なかなかのもので、現代でも新鮮さを保っている。
「かげろふ日記」の「かげろふ」とは「あれこれと幻のように浮かんでは消える思い」、つまりいってみれば「愛のはかなさ、不安」をさしているのだが、その文字が「蜻蛉日記」となっていたりするものだから、つい物語の内容を取り違えたりもする。
この作者は、藤原の道綱の母で「歎きつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかにひさしき ものとかはしる」の歌で知られている。
とにかく、十世紀に生きた女性の心の内側を垣間見ることのできる文学である。
異常に続いていた暑さがようやく、和らいだので、センちゃんの散歩に行けそうです。庭で、五島から持ってきた浜木綿がまた花開きました。三つ目です。素晴らしい香りが漂っています。

あれはミンミンゼミだと思います。銀杏の大木のてっぺんの方から「ミーン、ミーン」とないているのがわかりました。
今年は少し早いのかな。少し風があったけれど、空も晴れわたって、すっかり夏の風景です。
早起きをすると、朝顔の花もしっかりと咲いています。蝉は石神井川のほとりで、気がつきましたが、このあたりには桜の並木があります。
蝉はなぜか桜の樹が好きなようです。だからこの並木の根元のあたりから、毎年蝉の幼虫が這い出してきます。
けれど、この並木の間は通路になっているので、蝉の幼虫はうっかりしていると人に踏まれてしまいます。
よって、偏屈は夜な夜なこの辺りをうろついて、通路に這い出てきた蝉の幼虫を木の幹にまで持って行って踏まれないようにしています。蝉助けをした気分になるのです。
夏になりました。風が強くて砂埃がテニスコートに上がっていました。コートのテラスのあたりには真っ赤なカンナの花が咲いて揺れていました。センちゃんの散歩で石神井川のあたりを歩いてきました。
写真で、センちゃんの後ろに咲いているのは、シラン(紫蘭)です。


「さようなら 二度と言えない さようなら」
確かに本人の字である。おそらく彼が、自分の会に足を運んでくれる人のために心をこめて、書き残したものと思う。
自筆の「お別れのことば」を、偲ぶ会で受け取ったのは、さすがに初めてである。
その男とは、新宿で一緒に飲み歩いた先輩の一人である。
彼は、のちに一世を風靡することになったピンク・レディーの売り出しにもかかわっていた。持ってきた「ペッパー警部」のポスターを見て偏屈は即座にいった。「こんなものが売れるわけがない」。
地味なポスターであった。だが売れた。
そして、その後彼は加納典明を使って、激写したヌード集にかかわり、これも大当たりした。
とにかくすぐれたプロデューサーであったのだ。その彼が自らプロデュースした「お別れの会」が新宿で開かれ、その会も彼はプロデュースしてしまったということです。盛会であリ、その日は参議院選の投票日でもありました。これも意味があった、と思う。
今日は、また大雨が九州の方から上がってくるそうです。早くセンちゃんの散歩に行かなくては、と思っています。
写真は、満開になった浜木綿の花です
著者: 偏屈おじさん
登場人物: センちゃん (柴犬)
ナナ (センちゃんの母)
チッチ (猫)
センちゃんの母犬、ナナ(15歳)の思い出のアルバム
『企画の庭』
旅と歴史と酒と観光







