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Vol. 183  ハンガリーからのメッセージ

ハンガリー動乱50年:ナジ・イムレ処刑50年
 
 

X.個人的体験と体制存立の論理

 

一つの歴史事件の評価と個人の体験を切り離すことは、同時代人にとって非常に難しい。56年当時の年齢、職場、居住地、生活環境によって、個人として体験した56年は、グンツ大統領が言うように多種多様だろう。後の政治的評価によって、当時の個人の政治行動を断罪するのは硬直した見方である。

他方、政治体制として、56年以後の体制をどのように評価するかは、個人体験の多様性とは異なり、明瞭な歴史的評価が下される。どのように考えようが、56年動乱で誕生したカーダール政権には、少なくとも政権誕生の経緯には、正統性がない。ソ連が構築した傀儡政権であることは明々白々である。

したがって、個人が体験した56年動乱およびその後の生活の評価と、56年動乱によって樹立された政権(体制)の評価とは区別して考えなければならない。56年の体験が多様であるから、56年動乱後の体制評価も多様であって良いということにはならない。逆に、56年後の政権評価は一義的だから、56年動乱時の個人の役割が一義的に確定できるとは言えない。

体制の評価が決まれば、国家としてのけじめがある。それは個人の多様な体験を否定するものでないが、国家としてそれぞれの個人を顕彰できるかどうかは、国家の存立価値にかかわっている。したがって、ホルン社会党元党首の場合、個人として動乱抑圧側に立たざるを得なかったという個人的事情は了解されても、旧体制を否定して成立した共和国国家が、旧体制を肯定する人物を顕彰できないという論理は筋が通っている。国家として、56年以後の体制の両義性を認めることはできない。

この点は「靖国参拝」をめぐる議論と似たところがある。個人として戦争に参加した人々には、多様な生活と体験があったことは否定しようのない事実であり、個人としての生き様が後年の体制評価によって断罪されてはたまらないと感じる人は多いだろう。他方、日本は戦後、戦前の天皇制軍国主義体制の否定の上に立って議会制民主主義国家として出発したことも明らかである。とすれば、個人として「靖国神社」へ参拝することは何ら非難されることではないが、政治家が意図的に参拝し、軍国主義の犠牲者を祭り上げることに積極的な意思を表示すれば、戦前の体制否定という一義性が否定されることになる。

この事例のように、20世紀には膨大な人命を犠牲にしてきた歴史事件が多発し、正統性が疑われる実に多種多様な政治支配が存在してきたために、個人と体制という矛盾した関係から完全に解き放たれることはできない。

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「中欧最大の湖、バラトン湖」

Y.体制理解と個人の役割

2006年から2007年にかけて、本誌において「ハンガリー動乱50年」の連載を行い、動乱からナジ処刑にいたるプロセスを再考した。現在、本誌では56年動乱に至るプロセスを連載しているが、それは「56年動乱」を評価する場合、動乱の10日余の分析を行っても評価することはできず、動乱に至る歴史的過程や動乱以後の政治過程を綿密に考察することによって初めて、その歴史的意義を明らかにできるからである。

そのことは56年動乱という事件に限らず、ナジやカーダールの個人としての歴史評価においても必要なことである。ナジが英雄視されるのは、あくまで「56年動乱の殉教者代表」ということであって、ナジ個人が動乱前から対ラーコシ独裁に果敢に闘い、動乱発生時にはハンガリーが進むべき道を明確に示したからではない。実際には、この双方の面において、必ずしも高く評価される政治家ではなかった。しかし、歴史の歯車によって、ナジは56年の殉教者になり、「56年革命の象徴」になったのである。

他方、カーダールはナジと行動を共にしながら、拉致されたとはいえ、ソ連の傀儡政権樹立の協力者としてブダペストに戻ってきた。この意味でナジとは対照的である。

しかし、ハンガリーにカーダールが存在したことは、ある意味で幸運なことでもあった。ソ連の保守派はカーダールではなく、ソ連亡命歴をもつ政治家を頭に据えることを画策していたからである。ソ連占領下という現実の中で、ハンガリー民族が取り得る選択肢は限られていた。そのカーダールに権力出生の正統性はないが、ソ連から距離をとる「柔らかい独裁」体制の構築に励むことによって、ソ連圏内部での相対的な自由と豊かさを確保した。統治の始まりに正統性はないが、統治が持続することで「事実としての正統性」が生じてくる。まさに、カーダール体制はそのようなものであった。

ただ、歴史の評価は常に変わる運命にある。ソ連圏でより増しな体制を構築したカーダールは評価されるが、究極のところ、ソ連型の社会主義の枠を破ることができなかった。そして、長期の「柔らかい独裁」の弊害は、体制転換以後の市場経済化プロセスで明らかになっている。鎖国の「ぬるま湯」的体制に慣れ親しんだ国民が、市場経済の厳しさを正面から受け止めることは難しい。現在もなお、ハンガリー社会にはカーダール体制の慣性が支配している。
(関連記事は、http://morita.tateyama.huを参照されたい) 


盛田常夫 盛田 常夫

1947年
富山県高岡市出身
法政大学社会学部教授、野村総合研究所研究顧問を経て、ハンガリー立山研究所取締役社長

ブダペスト在住

盛田常夫のホームページ:
ハンガリーからのメッセージ
盛田常夫訳「コルナイ自伝」の国際サイト:
Korunai Yanoshu:MEMORIES
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バルトーク国際ピアノコンクール優勝金子三勇士君

猫 猫 猫


盛田氏の家に突然居座って
しまったネコの花ちゃん。
夜はガレージに
入れてあげるそうです。
(*画像クリックで拡大写真)

樹氷 樹氷 樹氷 樹氷


盛田氏はブダペストに
お住まいですが、
ブダペスト丘陵に連なる
小高いところでは、氷点下5度以下
になると、このような樹氷の
光景が見られるそうです。

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「ドナウ通信2008年春季号」

盛田常夫マラソン 

※盛田常夫氏は、昔からテニス、スキー等、スポーツ万能で、最近では毎年様々なマラソンに出場しています。
(画像クリックすると拡大します)

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