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19年前の6月16日、ハンガリーはナジ・イムレと側近たちの復権を行い、再埋葬式を挙行した。当時、日本大使館に勤務していた筆者は外交団の一員としてこの埋葬式に参加し、翌7月6日に日本国大使とともに社会主義労働者党本部に新党首ニェルシュ・レジューを訪問した。その折に、当日朝のカーダール訃報が口頭で伝えられた。カーダールがナジ復権を知っていたかどうかは分からないし、それを知り得たとしてもその意味を理解できたかは分からないが、死の直前までライク・ラースローとナジ・イムレの亡霊に悩まされていたと言われる。
ナジ・イムレ復権とカーダール死去は、ハンガリーが30年余にわたったカーダール時代に別れを告げ、新たな時代を迎える象徴的な出来事であった。ハンガリー動乱は「反革命」でなく、「革命」であったと再評価された。反革命の汚名を着せられたナジ・イムレは、今度は56年ハンガリー革命の英雄となった。そのナジ・イムレの処刑50年が今年にあたる。
ナジ・イムレが革命の英雄であれば、今度は逆にカーダールは反革命の象徴になるのだろうか。事は単純ではない。
今、ハンガリー人は皆、「56年革命」と表現する。少し前までは「56年反革命」だった。しかし、人々の心情は複雑である。動乱の評価と政治家個人の評価は別なのだ。社会主義労働者党本部で催されたカーダールの葬儀には、万を数える人々が参集し、党本部周辺はドナウ河沿いの沿岸道路まで、参列する人々の長蛇の列が続いた。ハンガリー国民はその光景に、改めてカーダール人気を感じ取った。
ナジ首相に正統性を付与すれば、カーダール政権の正統性が消滅する。しかし、30年にわたるカーダールの統治に正統性がなかったとは単純には言えない。まさに、これこそ歴史と現実における正義と正統性の典型的な問題なのである。
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