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イタリアの古い建物には、割りとゴツイ木の扉が施されている。扉を開け閉めするのも大変な重いものだ。昔から扉を開ける前に、誰が来たか確かめる習慣があったらしく、扉にはコンコンと扉を叩く金具の横に鉄柵に覆われた覗き窓がついている。今時これを利用する人は居ないだろうけれども。如何にも古めかしい、しかし、だからこそ味わいがあって、私はこの手のものを見つけると堪らなく嬉しくなる。さてブログを書き始めるにあたって、私自身に触れることなく今に至っているが、決して秘密にしている訳ではない。単に人にお知らせするほどの人間でもない、自慢することもないし、褒めて貰うようなことも今迄したことがない、素敵な経歴も持っていない平凡な人間なので書かなかっただけである。そして始めた当初は、友人知人以外にこれを読む人はそんなに居ないだろうと思っていたので、自分について書く必要もあるまいと思っていたのである。けれどもどうやら秘密主義みたいで宜しくない、そう思いついたのでほんの少し私について書いてみたいと思う。
ブログを読んでも感じるように、私はそんなに若いお嬢さんではない。気持ちはいつも20代であるが月日は止まってくれる筈もなく、おかげで沢山の経験をした。両親はおそらく大変手を焼いたことであろう、あの頃の私は夢は叶えるものと信じていた。しかし今でも私は思う、夢を追うことは素晴らしいことだって。どうせ叶わないと初めから思う夢は楽しくないし、夢をみる甲斐もないというもの。ひとつの大きな夢を消した後に得た新しい夢を実現したくてアメリカへ行った。空が青く高く、全てが可能に感じられる街に住み始め、よく学びよく働いた。人間が出来ていなかったので友達ともよく衝突したが、衝突して一緒に辛い思いをしたり、助け合うことで離れがたい良き友人となったりもした。その街で私は相棒と出会い結婚した。一生その街で暮らすつもりだった。なぜなら、好きで好きで住みついた街だったからである。それが人生というのは予定通りにならないことが沢山あって相棒の故郷であるここ、ボローニャに来ることになった。聞かされていた素敵な生活は何処にもなく、思い通りにならないことばかりでお手上げだった。しかし誰に頼まれて来たでもない、自分が決めて来たのだから・・・と頑張れば頑張るほど壁にぶち当たりを繰り返した。あの頃の私は逃げることばかり考えていたように思う。1年2年ではない、もっとである。それがあることを期に私はふと考えた。私の家は何処なんだろう。そう考えたらここだった、ボローニャ以外の何処でもなかった。私は何に関しても人よりテンポが遅いので長い年月を要してしまったが、それでも気が付くことが出来てよかったと、あの時逃げないでよかったと思う。ボローニャが自分の居るところだと気が付いたら、見えないことが見え始め、気が付かなかったことにも気が付き始めた。素敵でないと思っていたボローニャの生活は自分の心が開かれることで大きく印象が変わっていった。ああ、もっと早くにそう出来ればよかったのにと少々悔やまれるが、それが、私がブログを書き始めたきっかけのひとつである。ほら、素敵なことなんてひとつもない。それどころか少し恥ずかしい。けれども、もしどこかで悩んでいる同じ様な人が居るならばこんな人も居たのだから、と励ましのひとつにもして貰いたい。自分の気持ち次第で生活は変わる。だからいつもポジティブでいたいものだ。でも辛いときには頑張り過ぎずに自分に優しくしてあげるのがよい。これが私である。
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