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| Vol. 171 ハンガリーからのメッセージ |
| 「改革アロガンス」の敗北−国民投票結果が意味するもの |
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T. プロローグ |
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3月9日に実施されたハンガリーの国民投票は連立政府にとって、予想だにしない大敗となった。実に330万を超える票が政府の政策に「ノー」を突きつけたのだ。投票率こそ50%を僅かに超えただけだが、実にそのうちの8割が「不信任票」を突きつけた。絶対得票率で4割である。政府与党のショックは大きい。野党の基礎票は220万票だから、100万票ほど社会党の支持層から流れた勘定になる。明らかに、この投票は僅かな金額の国民負担の是非を問うたものではなく、政府の信任投票だったのだ。
SZDSZのホルン・ガーボルはコーカ党首との立ち話で「国民がジュルチャーニを追放した」と語ったことがHir TVで放映され、社会党幹部が色めき立った。ピント外れも甚だしい。国民投票はジュルチャーニだけでなく、SZDSZをも追放したのだ。なぜなら、強引な医療改革を主導し、これを飲まなければ連立を解消すると社会党を恫喝し続けたのは、SZDSZに他ならないからだ。
社会党とSZDSZはこれが総選挙でなくて良かったと胸をなで下ろしていることだろう。もしこれが総選挙だったら、社会党の議席は三分の一以下に激減し、SZDSZは国会の議席のすべてを失っただろうからである。 |
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「聖イシュトヴァーン教会」 |
U. マッチ・ポンプ |
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国民投票における野党の勝利は、「右翼の勝利」とはいえない。旧「左翼」のかなりの部分が政府の強引な「改革政策」に反対しているからである。そもそも、「ライト」とか「レフト」という政治概念は、完全に時代遅れになっている。にもかかわらず、政治学者や一般国民がこの概念を使っているのはどうしてだろうか。
現在の政治政党は設立理念とは無関係に活動している。区別があるとすれば、政権に就いているか否かの区別だけである。政権にある政党は否が応でも現実問題の解決に取り組まざるを得ず、野党はその政府案を批判していれば良い。だから、「左翼」の社会党が資本主義政策を推進し、「右派」のFIDESZが社会主義政策を擁護するという奇妙な逆転現象が起きている。
それにしても、どうして「右」とか「左」とかという古い概念を日常的に使用しているのだろう。旧社会主義国の国民がこれを使う場合、そこには一つの合理的な意味が込められている。彼らの言う「左翼」とは、「旧共産党(青年組織)を継承する人々で、権力の甘い汁を吸っている権力エリート」という意味合いなのだ。事実、社会党の幹部の多くは、旧共産党(社会主義労働者党)・青年組織の活動家だった人々だ。ジュルチャーニ自身、旧共産党青年同盟の幹部であり、カーダールが共産党政治局員だったアプロー・アンタル(ジュルチャーニ夫人の祖父)に与えた大邸宅で生活している。彼らは旧体制でも新体制でも、権力の頂点に立っている。FIDESZを応援する人々は、こうした権力エリートの反対物として、「右翼」という概念を使用しているのだ。これにたいして、政治学者の使う「右」・「左」の概念はきわめて不明瞭で、ルーティン的に使っているだけ。一種の知的怠慢と言える。
オーストリア在住のポール・レンドヴァイ(亡命ハンガリー人歴史家)は、テレビインタヴューの中で、「1ユーロ程度の負担すら拒否するハンガリー人はどうかしている」と述べていたが、レンドヴァイは今時の国民投票の意味を分かっていない。
国家予算の赤字がこれほどまでに累積した発端は2002年の総選挙で、社会党とSZDSZが公務員給与の50%引き上げなど、ポピュリスト政策でFIDESZから政権を奪還したことに始まる。オルバンの傲慢にたいする批判票も追い風になった。指導力のないメッジェシ首相もとでSZDSZは政府内で発言力を高めていき、この連立政府4年間で国家財政赤字は2倍に膨れあがったが、政府はその事実を隠していた。2006年の総選挙で今度はFIDESZが猛烈なポピュリスト政策で政権奪還を狙ったが、さすがに国民は人気取り政策に疑心暗鬼で、もう一度社会党とSZDSZに政権を任せる選択をとった。この時点までは国民は社会党とSZDSZの連立政府に寛容だった。ところが、総選挙直後に、ジュルチャーニのウースゥド演説(「社会党は嘘を尽きっぱなしだった」)と、それに続く選挙公約と正反対の財政引き締め政策が始まったのだ。
これ以後の一連の騒動の中で、ジュルチャーニや社会党幹部会は国民の不満や不信任を過小評価した。いずれ事が収まり、改革の成果が出てこれば、風向きが変わると。しかし、今回の投票結果はその甘い予想を粉々にしてしまった。連立政府は財政赤字の全責任を負わなければならない。だから、緊縮政策を示す前に、謝罪と理解を求める姿勢が必要だった。しかし、ジュルチャーニの態度はそれとはまったく正反対の「改革アロガンス」だった。こうした政治姿勢が社会党の支持者までに嫌われ、その結果、社会党の支持率は歴史的な低水準に落ち込んでしまった。まさに、ジュルチャーニの傲慢とそれを見逃した社会党幹部会が墓穴を掘ったのだ。 |
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バルトーク国際ピアノコンクール優勝金子三勇士君 |
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盛田氏の家に突然居座って
しまったネコの花ちゃん。
夜はガレージに
入れてあげるそうです。
(*画像クリックで拡大写真)
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盛田氏はブダペストに
お住まいですが、
ブダペスト丘陵に連なる
小高いところでは、氷点下5度以下
になると、このような樹氷の
光景が見られるそうです。
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ハンガリー在住日本人会会報 「ドナウ通信2008年春季号」 |
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※盛田常夫氏は、昔からテニス、スキー等、スポーツ万能で、最近では毎年様々なマラソンに出場しています。
(画像クリックすると拡大します) |
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