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ドイツの移住許可を待つフィールドは、チェコスロバキア諜報部の招聘に応じて、5月初めプラハに向かった。5月11日午後3時半、パレス・ホテルにチェコスロバキア諜報部員が出向き、彼を車で郊外に連れ出した。そして、そこに待ち受けていたスーチ率いるハンガリーの拉致実行部隊に引き渡したのである。スーチはクロロホルムをかがせ、その日のうちにフィールドをハンガリーに連行した。
フィールドはアンドラーシ通り60番地に拘置されたが、すぐにノルマファ近くのエトヴォシュ通りにあるAVHの秘密の館に移送された。フィールド拉致は最重要機密であり、一部の幹部のみが関知した事柄だった。この館で始まった尋問には、ファルカシュ・ミハーイ、カーダール・ヤーノシュが直に関わり、スーチ配下のバウエル・ミクローシュとセンディ・ジョルジュが取り調べおよび独語通訳を担当した
この時、ファルカシュ・ヴラジミールは隣室で尋問の録音を担当しており、「スパイ容疑」を否定するフィールドに激しい拷問が加えられたことを告白している。拷問によって強制された告白は二転三転するが、フィールドは自らの筆で、中欧における共産主義者の知人名を記した。そして、スイスにおいて亡命ハンガリー共産主義者とコンタクトがあったこと、スーニィと顔見知りであったことを認めた。
ラーコシにはこれで証拠十分だった。フィールドの記した氏名リストは即座にラーコシに届けられ、ラーコシはこれをチェコスロバキア、ポーランド他の近隣国の共産党幹部に送った。このリストはそれぞれの国で、その後の「アメリカの敵」摘発に利用された。
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