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Vol. 153  ハンガリーからのメッセージ
ハンガリー動乱50年:動乱を招いた暗黒時代(その2)
 
 

T. プロローグ

 

   1949年5月、現職の外務大臣で、共産党政治局員のライク・ラースローが逮捕され、同年10月に処刑された衝撃的な事件は、戦後の東欧社会主義形成期の象徴的な出来事として、世界史に記されることになった。当時、隣国でも同様な事件が相次ぎ、チェコスロバキアではスランスキー共産党書記長、ポーランドではゴムルカ共産党書記長が除名・逮捕され、ゴムルカは処刑を免れたが、スランスキーは処刑された。

   これら一連の事件は、共産党が他政党との連立政権から共産党単独による社会主義政権樹立を目指す過程で仕組まれたもので、各国にスターリン型の独裁権力を創出しようとするソ連の意向を受けて意図的に作為されたものであった。

   その発端となったライク事件はいまだ謎の部分があるとはいえ、かなりの所まで解明が進んでいる。ライクを「アメリカ帝国主義のスパイであり、ティトー修正主義に犯された敵」と証拠立てるものは何もなかった。しかし、スターリンのソ連とスターリンの忠実な生徒ラーコシは、あらゆる人的な繋がりをつなぎ合わせて、ライクを「敵」に仕立てた。そのシナリオの重要な鍵になったのが、アメリカ人ノエル・H・フィールド拉致事件である。

「オペラハウス」

「ドナウ河の曲芸飛行」

U. 社会民主党の吸収

 

    戦後直後の中・東欧の共産党勢力は微々たるものであった。しかし、反ファシズムを闘ったという倫理的な優位性とソ連軍の進駐という環境の中で共産党の影響力が拡大し、支持基盤以上の力を発揮することになった。戦後確立した議会制民主主義の中で、共産党は連立政権構築に努めたが、他方で秘密保安部隊を創設して、他党幹部の動静を探り、次第に共産党と政治的に対立する人物を粛正する方向に向かった。AVO、AVH はその実行部隊だった。

    当時、この共産党の私権力とも言える政治警察の本部はアンドラーシ通り60番地にあり、ここが秘密諜報基地となっていた。隣接するチェレガンツ通りには電話盗聴設備が設置され、治安警察に所属する隊員の夫人たちが共産党に対抗する人物の電話盗聴を行っていた。この盗聴舞台はやがてハンガリー駐在外交官の盗聴へと拡大されることになった。さらに、中央郵便局にはやはりAVOから封書開封部隊が送り込まれ、カーダール夫人だったタマーシュカ・マーリアはこの部隊で働いていた。

    AVOの活動は当時の法律に照らしても違法であった。そのため、共産党は内務大臣ポストを確保し、これらの私的権力活動に法的な位置づけを与えることに気を配ったが、それは形式上のことだけで、内務省管轄下に入っても、この部隊は共産党の私的暴力装置という性格を変えなかった。

    1948年6月、ハンガリー共産党は社会民主党を吸収してハンガリー勤労者党(Magyar Dologozok Part)として再出発した。この合同において、共産党から9名、社会民主党から5名の合計14名で新党の政治局員が構成された。共産党から名を連ねたのは、トロイカの3名の他、レーヴァイ・ヨージェフ、ナジ・イムレ、ライク・ラースロー、カーダール・ヤーノシュ、コッシャ・イシュトヴァーン、アプロー・アンタルである。アプローはライク粛正を決定した時の政治局員であるにもかかわらず、1956年のライク復権集会でも共産党を代表して演説を行った。1988年の社会主義労働者党解党に至るまで長期にわたって権力の頂点に居座った人物である。益にも害にもならない人物だったからだろう。ジュルチャーニ首相夫人の母方の祖父に当たり、アプローが共産党幹部として使用していた邸宅が、現在のジュルチャーニ首相夫妻の私邸でもある。  この社・共合同によって、ハンガリーには事実上の共産党独裁権力が樹立された。他の中・東欧諸国でも同じ社・共合同が画策され、戦後一時期続いた多数政党による連立政権が、共産党主導の独裁政治に変貌したのである。


盛田常夫 盛田 常夫

1947年
富山県高岡市出身
法政大学社会学部教授、野村総合研究所研究顧問を経て、ハンガリー立山研究所取締役社長

ブダペスト在住

盛田常夫のホームページ:
ハンガリーからのメッセージ
盛田常夫訳「コルナイ自伝」の国際サイト:
Korunai Yanoshu:MEMORIES
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バルトーク国際ピアノコンクール優勝金子三勇士君

猫 猫 猫


盛田氏の家に突然居座って
しまったネコの花ちゃん。
夜はガレージに
入れてあげるそうです。
(*画像クリックで拡大写真)

樹氷 樹氷 樹氷 樹氷


盛田氏はブダペストに
お住まいですが、
ブダペスト丘陵に連なる
小高いところでは、氷点下5度以下
になると、このような樹氷の
光景が見られるそうです。

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ハンガリー在住日本人会会報
「ドナウ通信2008年春季号」

盛田常夫マラソン 

※盛田常夫氏は、昔からテニス、スキー等、スポーツ万能で、最近では毎年様々なマラソンに出場しています。
(画像クリックすると拡大します)

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