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戦後直後の中・東欧の共産党勢力は微々たるものであった。しかし、反ファシズムを闘ったという倫理的な優位性とソ連軍の進駐という環境の中で共産党の影響力が拡大し、支持基盤以上の力を発揮することになった。戦後確立した議会制民主主義の中で、共産党は連立政権構築に努めたが、他方で秘密保安部隊を創設して、他党幹部の動静を探り、次第に共産党と政治的に対立する人物を粛正する方向に向かった。AVO、AVH はその実行部隊だった。
当時、この共産党の私権力とも言える政治警察の本部はアンドラーシ通り60番地にあり、ここが秘密諜報基地となっていた。隣接するチェレガンツ通りには電話盗聴設備が設置され、治安警察に所属する隊員の夫人たちが共産党に対抗する人物の電話盗聴を行っていた。この盗聴舞台はやがてハンガリー駐在外交官の盗聴へと拡大されることになった。さらに、中央郵便局にはやはりAVOから封書開封部隊が送り込まれ、カーダール夫人だったタマーシュカ・マーリアはこの部隊で働いていた。
AVOの活動は当時の法律に照らしても違法であった。そのため、共産党は内務大臣ポストを確保し、これらの私的権力活動に法的な位置づけを与えることに気を配ったが、それは形式上のことだけで、内務省管轄下に入っても、この部隊は共産党の私的暴力装置という性格を変えなかった。
1948年6月、ハンガリー共産党は社会民主党を吸収してハンガリー勤労者党(Magyar Dologozok Part)として再出発した。この合同において、共産党から9名、社会民主党から5名の合計14名で新党の政治局員が構成された。共産党から名を連ねたのは、トロイカの3名の他、レーヴァイ・ヨージェフ、ナジ・イムレ、ライク・ラースロー、カーダール・ヤーノシュ、コッシャ・イシュトヴァーン、アプロー・アンタルである。アプローはライク粛正を決定した時の政治局員であるにもかかわらず、1956年のライク復権集会でも共産党を代表して演説を行った。1988年の社会主義労働者党解党に至るまで長期にわたって権力の頂点に居座った人物である。益にも害にもならない人物だったからだろう。ジュルチャーニ首相夫人の母方の祖父に当たり、アプローが共産党幹部として使用していた邸宅が、現在のジュルチャーニ首相夫妻の私邸でもある。
この社・共合同によって、ハンガリーには事実上の共産党独裁権力が樹立された。他の中・東欧諸国でも同じ社・共合同が画策され、戦後一時期続いた多数政党による連立政権が、共産党主導の独裁政治に変貌したのである。
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