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戦後のハンガリー共産党の再組織化からラーコシ独裁に至る過程は、共産党が暴力的に権力を奪取した時期にあたる。共産党が国家機構とは独立した武装組織をつくり、独裁権力の維持を脅かす人物を次々と拘束し、拷問を加え処刑し、スターリン型の恐怖独裁を構築した苦い時代だ。1946年から1953年まで続くこの時期に、想像もできないような奸計が図られ、多くの命が失われた。日本ではこの時代の正確な情報が伝えられず、歴史学界では中・東欧の社会主義樹立を「人民民主主義革命」と規定する説が大勢を占めたが、現在から見れば、この規定は明確な誤りである。
1956年動乱はまさにこれらの失われた命の鎮魂と名誉の回復を求めたデモ行動が拡大して起きた歴史的事件である。ラーコシ独裁時代に両親たちが犯した歴史的犯罪にたいして、娘や息子、さらには後世の世代はいかに向き合うべきか。ハンガリーではこのような問いかけを発する人はほとんどいない。それにはいくつか理由がある。
一つは、ハンガリーでは民族の歴史的悲劇を祝日として鎮魂するが、自民族の戦争犯罪や権力犯罪にたいする責任を後世の世代が受け継ぐという倫理観念が希薄である。
二つは、カーダール政権が動乱参加者の大量逮捕・処刑に全力を注いだために、ラーコシ独裁政権を支えた集団や個人の犯罪的行動への対処・告発が事実上、見逃されてしまった。
三つは、ハンガリーの体制転換が「平和的」に行われた結果、過去の権力犯罪の検証と告発が中途半端になってしまった。
四つは、与党にも野党にも、トップの指導者の家族やその周辺に保安・秘密警察に関係した者がいるために、追求の矛先が鈍ってしまう。
この結果、バウエル父子のように、父が自らの犯罪も責任も認めず、子もそれに同調する者が多く、それがハンガリーの権力犯罪にたいする倫理意識を限りなく低めている
もっとも日本にも同類の問題が存在する。バウエル・ミクローシュが果たした役割は、戦前日本の特別高等警察(特高)と類似したものだ。特高による反戦主義者・民主主義者・共産主義者の拷問・虐殺も、戦後そのほとんどが見逃されてしまった。作家小林多喜二が特高警察に捕まり、逮捕から半日もしないうちに命を落としたが、虐殺に直接手を下した連中や特高部長も、戦後の日本で大手を振って生きてきた。
バウエル・ミクローシュ問題が公になってから、SZDSZ内の内部対立が激しくなり、バウエルは2004年の総選挙に立候補できなかった。権力犯罪に深くかかわった父を擁護するバウエル・タマーシュに、連立政権の社会政策に反対する人々を批判する資格があるのだろうか。それとこれとは別だと割り切れるだろうか。
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