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DNAが高分子の細長い紐状物質で、らせん系の二つの紐が絡み合った形状であることを示したのが、クリックとワトソンである。これで彼らはノーベル賞に輝いた。福岡はこのような科学史の発見に、必ず先行する研究や研究者がおり、それらの人々の名は歴史の中に埋もれることが多いことを丁寧に描いている。
そもそも、DNAが遺伝子情報を保有していることに最初に気づいた人は誰なのだろう。野口英世がロックフェラー医学研究所に勤務していた頃、オズワルド・エイブリーもこの研究所で仕事を始めた。彼は肺炎双球菌の研究から、菌の性質を変える遺伝子を追跡し、それが核酸(DNA)であることを突き止めたのである。これはまさに世界史的な発見だった。
そこから、DNAの構造解明がノーベル賞ものの研究になった。そして、1962年、この構造解明に成功したワトソン、クリックと並んで、ウィルキンズがノーベル生理学賞を受賞したが、実は、その解明成功へ導いた決定的な先行研究があった。
1950年、ケンブリッジ大学出身のロザリンド・フランクリンはロンドン大学キングスカレッジに職を得た。そこで彼女はDNAのX線結晶学に従事した。当時、ここにはDNAの研究を専門とするウィルキンズがいたが、この二人は常に衝突していた。ワトソンとクリックはケンブリッジ大学に在籍し、ロンドン大学との競争関係にあったが、ウィルキンズはこの二人と交友関係があり、一緒に食事するほどの仲だった。
ある日、ロンドン大学を訪問したワトソンが、フランクリンが撮影した「DNAの三次元形態を示すX線写真」をウィルキンズから見せられた。そこには「らせん」構造から生じる黒い影が写っていたのである。撮影者のフランクリンに無断で、これをワトソンに見せたのである。この事実はワトソンの著書にも記されていて、そのため、後にウィルキンズが「データ盗用」で批判されることになる。さらに「らせん」理論を確定する上で決定的に重要な「盗用」があった。
フランクリンは1952年に、英国医学研究機構に研究報告を提出した。公的資金を受けた研究の成果を提出したのである。そして、研究資金決定の権限をもつ委員会の専門委員の中に、ケンブリッジ大学でクリックの上司にあたるマックス・ペルーツがいた。彼はフランクリンの研究報告書をクリックとワトソンに見せた。これは明らかにルール違反である。非公開の他人の研究成果をこっそりと、部下の研究者に見せたのだ。その報告書には実験の詳細データが付されていたほか、最後に重要な結論が記されていた。「DNAの結晶構造はC2空間群である」。C2空間とは数学的な概念で、相互に点対称にある二つの構成単位が相互に逆方向に配置されている位相空間である。まさに、理論的究明の最後の謎が解けたのである。ワトソンとクリックが、「DNAを構成する2本の紐は、相互に逆方向に対称的に絡み合っている」と結論づけるのに時間はかからなかった。
1962年のノーベル賞は、前述の3名に加え、マックス・ペルーツにも(タンパク質の構造分析による化学賞)授与された。すでにフランクリンがこの世を去って4年の時間が過ぎていた。「共犯者たちの揃い踏み」(福岡)が1962年のノーベル賞授賞式だった。
科学研究の発見の歴史には、このような裏話が尽きない。歴史に名が残るのは最終的な発見者だが、その発見者以上に大きな貢献をした人々が、歴史の中に埋もれているのだ。
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